Jくん、先日オリンピック3連覇を成し遂げた柔道家、野村忠宏氏の講演会に行ってきました!

今回はその時のお話を少し。

残念ながら、講演中の撮影は禁止でした。

野村忠宏氏(以下野村選手)のお話しの中で印象深かったのは、それだけの偉業を成し遂げた人だったにも関わらず、小さい頃はただただ柔道が楽しかった、背負い投げが決まると嬉しかった、という非常にシンプルな気持ちに突き動かされて柔道をしていた、ということです。野村選手に柔道を教えた彼の祖父は、柔道を好きになってくれさえすればいい。柔道を好きになってくれさえすれば、ずっと柔道を楽しんでもらえる、と言う人だったそうで、それが野村選手の原点になったようです。

野村選手の家は柔道一家だったのですが、柔道を強いられたことは一度もなく、小学校時代は、サッカーや野球、水泳など他のスポーツも経験し、結果的に中学入学の際に、自分で柔道をすることを選んだそうです。根っこに「柔道が好き」という純粋な気持ちと、「自分で選んだ道だ」という自負があったから、身体も小さく、高校までずっと弱い選手だったにも関わらず、厳しい練習にも耐えられた、と話されていました。

そんな野村選手が大きく変化するのが大学2年生の時。練習を黙って見続ける先生から呼ばれ、「練習はよく頑張っている。でもその練習では試合には勝てない。」と言われたそうです。練習の中心となる乱取りは、6分(当時の試合は5分だったため、それプラス1分)を12本というのが練習メニューだったそうですが、その当時の野村選手はいつも残りの時間、残りの本数を意識して練習していたそうです。「6分12本をこなすための練習」をしていると見抜いていた先生は、例え12本こなせなかったとしても、1本1本、目の前のことだけに集中して、全力を出し切るよう言われたそうです。

野村選手は、その言葉を聞いてから、練習に対する意識も姿勢も変えたそうです。自分が限界だと思うところまでやり切って、(ようやく休ませてもらえると)先生の所に報告に行くと、先生からは一言「そんなものか」。

野村選手は、こういう場面では「はい、自分はその程度の人間です」と諦める種類の人と、「なめるなよ」と奮起する種類の人がいる、として、自分は後者だったと。そして実際にやってみると、確かにもう少し出来るものだと思ったそうです。限界を超える練習は怪我にも繋がるので危ないけれど、本人にとっても未知の、そのギリギリのところまで選手たちを引き上げて行くのは指導者の力量だと。良き指導者は、その人の持っている特性、能力を見極めつつ、適切なタイミングで適切な言葉をかけられる人だと思う、という野村選手の言葉には、そうした恩師に恵まれた、という思いが溢れているようでした。

無名の選手でオリンピックに出場した際、野村選手は 1)前に出る試合をする 2)ピンチが来ても顔に出さない 3)最後まで諦めない ということを自分のテーマとして掲げたそうです。勝つ喜びがなくとも、ずっと地道な練習を積み重ねられる強靭な精神力の持ち主である、ということを除けば、心に秘めたこうしたテーマなどには、親近感が湧いてきます。

3つの金メダルを見せながら、それぞれの重みが違う、という話もされた野村選手。メダリストとなってからの道のりの険しさは、私たちの想像をはるかに超えるものだったに違いありません。でも、メダリストが負ける姿を見せるのは格好が悪い、というプライドを捨て、チャレンジし続ける自分でありたい、という気持ちに変わってから、オリンピック3連覇を成し遂げ、最終的には怪我で練習が出来なくなる40歳まで、現役を貫いたそうです。

野村選手の「柔道こそ我が人生」という言葉には、柔道を通して苦しい、厳しい思いをし、また多くのものを得たという自負はもちろんですが、野村選手自身が幼少の頃から持っている「柔道が好きだ」という純粋な気持ちもまた、そこに込められているように感じました。

Jくん、今回は長くなってしまいました。また次回。